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2011年05月21日

福島原発問題から目が離せない!

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先日の記事、市・憲法記念行事での池田香代子氏の講演、また作日、元町公民館であったTVでおなじみ慶応義塾大学教授の金子勝氏の講演(地域で平和について考える集い主催)、そして19日・20日に受講した多摩自治体研究所の議員の学校は、そのすべてに渡って福島原発事故問題が軸となり主題になっていました。


 


最悪の事故が進行中


過去を思い出すと、これまで政府の記者会見や首相の動向が、地震や津波による被害対応よりも原発問題に終始してきたことや、情報隠ぺいや汚染水の海への放出などについて、海外からの激しい反発や抗議があったことなどが印象的でしたが、そのことも含めて、今私たちが認識しなければいけないことは、日本は、チェルノブイリ級のレベル7という、最悪の原子力事故の中で、しかもその事故が現在進行中、という危機的状況下での対応が迫られているということです。


 


ここで変わらずいつ変わるのか


私たちは決して、楽観視はしてはいけない、しかし、冷静な対応をしなければなりません。また今起きている事態や今後の見通し、政府や東京電力からの曖昧で小出しにされている情報について、私たちは、自らの力で、深く学ばなければいけないこと、そしてこの事態を踏まえて新しい日本を、未来を救う、地球を救う道を導き出さなければいけないことが私たち日本国民に課せられている使命だと思います。


 


最悪の情報隠ぺい


先日、東京電力は第1号機について3月12日の時点でメルトダウン(炉心が全て溶融)が起きていたことを発表しました。事故後2カ月以上も経過しています。これまで「炉心は大丈夫」という前提の下で、決死の作業が繰り返されてきました。あれは一体何だったのか、自衛隊や消防隊、作業員の取り組みをあまりに馬鹿にしています。2号機も、3号機もおそらく同様です。いまさら分かったなんてことがあるはずがありません。そんなことは、見識のある研究者が何度も指摘をしていたし、日本人以外はみんな分かっていたのです。私たちは、こんなに深刻で重大な問題についての前提情報が、東電と政府によって完全に操作されていたことに、本当に怒らなければなりません。


 


私は、国民の命よりも自らの責任回避を優先させる、東京電力をはじめ、今の日本社会の経済体質やメディアの報道の在り方、また政府自体を絶対に許してはならないと思います。かといって今、首相降ろしなどをしている場合ではありません。本当に矛盾ですが、それが今の日本の現状なんです。今は何と言っても事故の収束と災害救援に全力を挙げ続けなければいけないときですから、その責任は後で必ず取ってもらうことにします。


 


原発問題はまた書きます。本当に深刻な事態だし、対応もひどすぎます。



posted by 幸野おさむ at 15:35| 防災・被災地支援・放射能への対応など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月07日

絶句などしている場合でない

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5月3日は仙台市長町にある青年ボランティアセンター(日本共産党・横田有史県政事務所)に朝8:30に集合しました。兵庫や大阪などから50名近い青年ボランティアが集まってつなぎや長靴姿でわいわいしていました。


 


私は、私を含めて3名のボランティアで仙台市宮城野区の市営住宅に行きました。宮城野区の高見のりこ市議(写真)に案内された11階建ての建物は、壁が崩れ鉄骨がむき出しになってエレベーターも使用禁止、ほとんどの住人が退去した後でした。しかし、70代で一人暮らしの老人が猫と一緒に6階でまだ暮していたのです。引っ越しをするにも引っ越し先が見つからなかったことや、避難所が閉鎖されたために戻ってきたとのことでしたが、ここで暮していくのはあまりに危険すぎるし、余震も続く中で不安だったろうと思いました。


 


さっそく乗ってきた軽トラに荷物を積み始めましたが、なにしろ6階までの上り下りの手段は階段しかないのです。冷蔵庫やタンス、テレビなどの荷物を手で運ぶのは本当にきつかったです。10往復以上したのではないでしょうか。そして積んだ荷物は車で10分ほどの別の市営住宅に運びましたが、驚いたのは元の所ほどではないにしても、建物には多くの亀裂が入っているのです。エレベーターは両端に2台あるのですが、1台は使用禁止になっています。そして最上階の9階まで荷物を運びました。


 


なんとしたことでしょう。おそらく引っ越し先の建物も東京なら「危険」と判断されて住むことは出来ないでしょう。でもそこしか住めない現実は、大地震の脅威を物語っています。また、私自身もいつ余震が来るか分からない中での作業に、内心恐怖を感じました。それがずうっと続いているんですから精神的にきついですよね。早く安心できる街にしなければなりません。


 


その後、高見市議と避難所をまわって要望の聞き取りなどを行いました。まずは「チーム国分寺(国分寺市・社会福祉協議会・万葉の里)」が来ている仙台市若林体育館へ。避難者のための活動はちょうど終わってしまったところでしたが、実のある活動が出来たようで、皆さんの表情もとても頼もしく見えました。本当にご苦労様です。


避難所の食料や生活品などはだいぶそろってきたようです。ただ避難所生活が限界といわれる2カ月も迫る中で、より深い声にも応えなければなりません。とくに食べ物については連日お弁当が配られていますが、さすがに弁当だけで続くときついので味噌汁やスープを工夫しながら提供しているとの事でした。炊き出しの支援を楽しみにしており、とても大事になっています。またお風呂も1週間に1度しか入れないようで、夏に向けて改善が必要です。


 


仙台市宮城野区の岡田小学校や高砂地域センターにも伺いました。どこもいまだに200人から300人の避難者がいました。


 


また避難所から帰宅して自宅で生活されている方のところにも行きました。周りのお宅はほとんど流されたか、半壊か、またがれきの山になっている中で、わずか1〜2メートル高いところに建てたことで、何とか帰れることになったとの事です。でも1階は完全に水につかり、匂いは相当きつく、線香などを焚いてしのいでいるそうです。床下にヘドロが入り込んでいるため、かき出すために、連日10人程度ボランティアが手伝いに来てくれているそうです。今避難所から自宅に戻る方が増えてきていますが、途方もない作業をしなければならなくなっています。ここでも本当にボランティアが必要になっています。


 


青年ボランティアセンターに戻って大阪の青年たちと感想交流をしました。イチゴのビニールハウスで泥かきをしたみんなは「TVで見るより、想像以上にひどかった」「被災者の方は助けに来る人がいるだけでも気がまぎれるんだとわかった」「ボランティアの受け入れ体制ができていない」「帰ってもっとみんなに伝えなきゃ」といった声が出されました。


私も、現地でこの目で耳で鼻で頭で理解したから伝えなきゃならないと思いました。


 


私自身、改めて条件ができたら、再度行きたいと思います。でもまずはこの経験を6月から始まる市議会できちんと質問したいと思います。



posted by 幸野おさむ at 10:35| 防災・被災地支援・放射能への対応など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月05日

絶句2

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 穏やかで、落ち着いた国分寺に戻ってきたのは4日の朝6時過ぎです。


 


 5月2日の朝4時に家を出発してからの50時間は、極度に神経が研ぎ澄まされた中で、信じられない光景と、とても受け止めきれない現実と、聞かされる被災地の声と、それでも懸命に復興へ向けて歩き出そうとしている被災者の想いに、ただひたすらに心を寄せようと努力を続けることだけしか出来ませんでした。


 


 「言葉が出ない」「言葉に出来ない」「絶句」何か言葉を発すれば、それだけのものに矮小化されてしまう。だから何も言えない。そんな感じでした。


 


 ただ問題なのは、そのせいなのか分かりませんが、このゴールデンウィーク中にボランティア制限ともとれる事態になっていることへのギャップを感じました。とても復興や復旧などとは程遠い状態で、人海戦術でがれきの除去や、被災者支援が必要なのに、受け入れ態勢が整っていないせいで、制限されるというのは、全くやりきれません。


現地でニーズを把握し、ボランティアを組織して派遣する、そういう中継的な役割を果たすセンターがうまく機能していないのではないかと考えます。私は政治が一刻も早くその体制を確立させるべきだと思います。その職員の派遣も各自治体で考えた方がいいと思います。そしてボランティアをしたい方には自粛をしないでほしいし、現場では勇気づけられている被災者の方も多くいますし、必ず行ってもらいたいし、自分の目で見てほしいです。それだけは、行ってきたものの使命として伝えさせてください。


 


 5月2日AM4時に自宅を軽自動車で出発。


 東北道を北上し、福島県に入ると、道のあちこちに真新しい舗装の跡が、まだひび割れしているところが、そして道路わきに土のうが積まれている箇所がありました。鏡石PA(福島県)ではトイレが倒壊間際で使用禁止になっており、仮設トイレが設置されていました。ミニストップの店内も5センチも地盤がずれたせいで床がかなり斜めに傾いてました。店員さんは「須賀川は今も市役所が出入り禁止になってますよ」と教えてくれました。


 


 さらに北上し、仙台の南部道路から北部道路へ行くと、おそらくTVで見たような、津波から土手で逃げまどう車たちが放映されていた箇所かと思われる田園風景が拡がりました。でもその田畑の中に、車やがれきが山のように残っていました。津波が襲った地域からは明らかに光景が変わりました。手つかずのところがほとんどでした。かけていた音楽を「早く停めなければ」と思いました。


 


 宮城県名取市で高速から降りると、津波のすさまじさは、よりリアルに伝わってきました。こちらもTVで放映された仙台空港周辺では、信号が復旧していないところが多く、大きな交差点では、昼間から警察官が交通誘導を行っていました。海も見えないところで船が道路わきに傾いてました。ぐしゃぐしゃの車が数百台一か所にきれいにまとめられているところもありました。


 


 そして兄が仮設住宅のユニットバスを建設している気仙沼方面へ車を走らせ、石巻市、女川町へ入りましたが、そこはまた想像を絶する光景でした。沿岸部のコンビナートはぐちゃぐちゃになり、乾いたヘドロがおおって茶褐色の町、廃れて人が住めなくなって何十年も経過しているかのような光景が続きました。女川では道路から海水が吹き出てきているところに遭遇しました。地盤が数十センチも沈下したため、満潮時には町の一部が水に浸かる状況になってました。


身の危険を感じ、車を戻らせ、兄と落ち合いました。


 


 兄は「2週間一日も休まずに仕事をしている」と徒労感をにじませていましたが「2週間で100戸の仮設住宅をつくった」と頼もしい限りでした。「東京に戻っても仕事があるかどうか分からない」とも話しており、また被災地にくる可能性も否定していませんでした。私は、日本の全ての資源や資材、労働力や技術を被災地に向けるべきではないかと強く思いました。


 


 仙台市内のビジネスホテルで一泊しましたが、寝付くのには時間がかかりました。



posted by 幸野おさむ at 09:45| 防災・被災地支援・放射能への対応など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月03日

絶句です。

昨日から、兄が仮設住宅の建設に携わっている宮城県に来ています。
仙台市若林区、石巻市、女川町・・絶句です。
今日はボランティア活動します!
posted by 幸野おさむ at 07:18| 防災・被災地支援・放射能への対応など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月26日

市議会は来年度予算をあっさり可決!福祉や教育は削減、北口再開発だけが聖域予算

 3月11日に日本を襲った東日本大震災は、その全容がいまだに不明な戦後最悪の自然災害となりました。
 多くの方々の尊い命が失われたことに、深い哀悼の意を捧げます。同時に被災者の方々をはじめ、ご家族の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。日本共産党と私幸野おさむは、被災者の方々と手を携え、全力でこの震災に立ち向かう決意でおります。 
 私達が連日取組んでいる国分寺駅前での救援募金活動では、小さな子どもさんから学生や仕事中のサラリーマンの方々、ビッグイシュー(路上生活者支援の雑誌)販売の方やご高齢の方など、老若男女、社会的立場の垣根なく、非常に多くの方々から募金が寄せられています。「何かしなければ」、「何かしてあげたい」と進んで募金くださるその強い思いに力づけられます。支援の輪がさらに拡がり、列島あげてこの大震災に立ち向かえば日本の社会に何かが起こると期待を胸に訴え続けています。
 震度5弱の国分寺市でも、引き続く計画停電や燃料不足の中、「防災無線が聞こえない」、「食料や水、懐中電灯が手に入らない」、「余震が続き不安」と、
初めての事態に混乱と不安が拡がりました。そのような中、市の職員をはじめ民生委員の方々が連日、市民の安全を守るため必死で努力を続けており、頭がさがる思いです。 日本共産党市議団はこうした市民の声をうけ、「国や東京都と連携し、物心両面で被災地支援に全力を」、「全市民に対し正確・迅速に情報を」、「市民のおかれた状況を正確に把握し対応すること」、「市の防災体制を強化し万全の対策を講じること」等を柱にした10項目の緊急要望書を市長に提出しました。
 一方肝心の国分寺市議会は、「非常事態」を理由に、それまで中断していた2011年度予算の審議を「わずか1日」で切り上げ、閉会するという異常事態です。
 日本共産党市議団は、「非常事態」だからこそ、市議会が落ち着いて災害対策や重要な予算を議論し、的確な方針を打ち出すことが必要と主張しましたが、福祉・子育て・教育予算は大幅削減の一方、争点の国分寺駅北口再開発事業は聖域化したままの来年度予算が、日本共産党を除くすべての政党・会派の賛成で「あっさり」と成立してしまいました。
「どさくさ」の中でのこの動き、市議会が自らの責任と役割を放棄した行為ではないでしょうか。


 政治の役割こそが問われているのでは?
 


posted by 幸野おさむ at 20:36| 防災・被災地支援・放射能への対応など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする